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- 2011.01.01 Saturday
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てんてこ舞いです。仕事。
しかし,好きな事を,仕事に出来る事をとても喜んでいます。
さて,ずっと以前にわが国における森林美学から森林風致への展開過程について,
発表させていただいた事があります。
その時,ドイツの事情にとても明るい方からご質問を受けました。
「私はドイツで研究してきましたが,森林美学なんて聞いた事がない。日本人はこの学問にノスタルジーを感じすぎている。ドイツでは消滅した」
その当時,とても不勉強でしたので,そのご質問にはなかなかうまく答える事が出来ませんでした。
森林美学は出版当時,ドイツにおいてかなり注目されていた事は確かです。
そして,当時の郷土保護運動にも注目され,その運動にも誘われたザーリッシュは,
その地区の代表のような役職にまで着いて,活発に活動していたようです。
ザーリッシュの著書の第3版では,この郷土保護運動について触れられていて,
そして,自分の著書がこの件について完全ではない事を書いていたと思います。
郷土保護運動が,当時のドイツ国民に幅広く指示された事を勘案すれば,
森林美学はある程度以上市民権を得ていたと考えられます。
この森林美学が忘れ去られた理由について,恩師の本では
科学に対して非科学的な美学が時代に受け入れられなかった,
とされていますが,どうなのでしょうか。
シレジアにはザーリッシュパークと称する公園が残っています。
ここでは,少なくとも忘れられる事はなく,空間として連綿と保存されています。
空間として残る意味は,考えるほど小さくは無いはずです。
また,当時メーラーなどは,ガイヤーよりも評価したほどです。
やはり,上記した理由は,理由のひとつではあるかもしれませんが,
ほぼ同時代のメーラーと切り離されている感がある事から,なにか他の理由も考えられそうです。
ここで,ひとつの仮説が考えられます。
ザーリッシュのかつての領土であるシレジアは,度重なるドイツに対する蜂起のすえ
ドイツから独立し,ポーランド領となっています。
この地理的な隔絶や,ポーランドとドイツ両国間の歴史的な背景が,
現代のドイツにおいて,森林美学が彼方の学問となった原因のひとつではないでしょうか。
戦後はよく知られるように,70年代まで経済最優先の林業政策が採られました。
かのメーラーでさえ,ドイツ人の耳目に再び入ってくるようになるまでにずいぶん時間がかかりました。
このような中で,ザーリッシュを思い起こす事は,なかなか難しかったのではないでしょうか。
余談ですが,義理の父がドイツの学会へ赴いた折に,大学の図書館で森林美学を見つけてくれようとしました。
その時に図書館の方は
「なぜ,極東の研究者がこのようなドイツ人も忘れていた本を知っているのか」
と,かなりしつこく聞かれたそうです。
恩師は今田敬一先生の,おそらく最後の弟子ではないかとおもいます。
さっき恩師のブログをのぞいたら,今田先生との出会い,という日記を書いていました。
私は,何度も聞いた話でしたが,
よく考えたら,ものすごく貴重な記述ではないでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/sei-fuchi/20100317
これを読むと,恩師は今田先生から指導された方法で,
自分の教え子を指導していらした事がよく分かります。
私も,先輩方も,後輩たちも,みな膨大な蔵書から,その人に必要な数冊の本をいつも渡されて,
大体が途中で頓挫してしまっていました。
なんとか5冊を読破しても,すぐ次の本を手づから渡されるので,読まないわけにはいかず,
青息吐息で読んでいたのは懐かしい思い出です。
その中に,岡崎先生の本や,今田先生の論文,新島・村山先生の本,本郷高徳先生の本
嵐山の風致施業に関する古い文献,明治神宮造営関連の本...
お陰で昭和初期の漢字表記が難しい本も,だんだん読めるようになりました。
(しかし,英文の本はすくなかったため,今でも英語は不得手なのかもしれませんね)
博士号を取得したとき,恩師から,やはり最後の一冊だから,と
博士論文を頂戴しました。
恩師が今田先生から頂戴したのと同じように。
その時,どんなにつらくとも,森林美学や森林風致,風景に関する研究は続けなければならないと
かなりのプレッシャーでもって感じたものです。
禅問答のようだったゼミは,今ではとても時代遅れなのかもしれません。
しかし,私はそのように教わってよかったんではないかなあと感じています。
いつも,森林風致は林学の体系の中のどこにもその寄る辺が無い,
と愚痴を書いてきました。
しかし,最近山の現場の方とのネットを通じた交流がある中で,意外とそうでもないことを感じます。
林地の放置を,林業,と言うよりも山の美しさが損なわれている,という点で憂えている方が多いからです。
ザーリッシュの論は正しかったと,そんな声を聞くたびに,嬉しくなります。
最近,若い,ヤル気のあるランドスケープと農林業の方々が,コラボレートして,「地域づくり」を
していく潮流も見られ始めました。
こういう潮流もあって,なんとなく,自分のような研究も存在していいんだ,世の中の役に立つのだ,
という気概も生じてきました。
最近,デザイン系の論文の意見を求められたり,査読を頼まれる機会が,
以前より格段に増えてきました。
自分は林学のつもりで,何とか林学の方々に認められようと,ここ数年躍起になっていたのですが,
躍起になって自分の専門を説明して回っているうちに,
予想外に,最近はデザインの方々から興味を持っていただいています。
私のやっている事は,完全に森のデザインだと言うことらしいのです。
自分でも,そんな事を意識していなかったため(戦略的にはデザインです,といっていましたが),
最近の他分野の方々が持ってくださる関心には,戸惑いながらも,
はじめて自分の存在を許された思いになって,ちょっとだけ,涙ぐんだりもしてしまいました(笑。本当に。
こういう周りの反応を見ながら,自分に最適な「生きる道」を見つけていく事が肝要なのでしょう。

アメリカのサイトで,ほぼ完全な状態でアップロードしてありました。
単純にテキストデータではなくて,中表紙もすべてすべて!
あまりの興奮に,ちょっと動悸が止まりません。
1902年刊行と書いてあるから第版なのでしょうか。
だとしたら,今行っている翻訳の原本です。
興奮しました...
http://www.archive.org/stream/forststhetik00sali#page/n0/mode/2up
さて,仕事ぞっこうです!

昨日の
木材生産・森林美・健全性 3つのサービスから見た ガイヤー・ザーリッシュからメーラーへの変遷
の模式化を試みました。
ガイヤー・ザーリッシュ・メーラーの主張を,模式化してみたら,
なんだかわかりやすくなった気がしますが,どうでしょう。
しかし,これはあくまで仮説なのです。
いつも,ザーリッシュの森林の健全性への位置づけがあいまいで,
結局ザーリッシュは何を論じた人なのか,
いつもわからなくなります。
ザーリッシュは,施業林の美については明確に位置づけているのに対し,
美しさと健全性,健全性と木材生産に関しては,
書いてはいますが,それらが相互関係を形成しているか否か,
メーラーと比較し,かなり不明瞭のように感じるのです。
その理由は,仮説的には
父親が購入し,ザーリッシュが譲り受けた時点での林地の経営は,
しかし,時間の経過とともに,林地は法正状態を形成し,
循環型の持続的な経営に切り替える必要が生じ,
まだ仮設の段階です。
ドイツ語ができたら,きっともっと楽しかっただろうに...
習得したいなあ。
ガイヤーが森林の美を論じたと言うのは,以外に知られていません。
森林施業に関して「自然に帰れ」と言うスローガンのもと,
択伐林施業を主張しました。
その一方で,急増する都市住民の憩いの場としての森林の必要性も説いたのです。
しかし,それらの森林は,施業林とは別の区画を特別に用意したものでした。
ガイヤーは
「功利(生産)」と森林の「健全性」の関係を論及し,美は,それらの関係から乖離していました。
「功利」←→「健全性」 =施業林
一方ザーリッシュは森林の「美と功利の調和」を論じました。
一方で森林の「健全性」にも着目しましたが,
「美」と「功利」の関係に大いに興味を持ち,「健全性」の存在感は,比較的希薄でした。
「美」←→「功利」 =施業林
メーラーは,かなり大風呂敷を広げたと言えます。
フォン・カリッチュのマツの施業を事例として
「功利」と「健全性」の一致,それから「健全性」と「美」の合致をとき,
三者の連関を主張して,それらをすべて包含して森林とは「環境材です」としました。
この,二者以上の相互の連関は,現在で言う生態系サービスと言う言葉が一番近いでしょう。
「功利」←→「美」←→「健全性」 =環境材
うーむ。その上メーラーは,上記の関係を持つ森林を「恒続せしめる」としました。
何の根拠で(爆? そう,科学的な論拠はいまだありません。
しかし,彼の論は多くの林業技術者の体験的林業観に合致したため,
ひとつの森林の理想的なあり方とされました。
私も,彼を信じたいひとりです。
さらに私は,かれの主張する恒続林は,人間の生活関連空間向上に寄与しえるかどうか,
そこも知りたいのです。
いずれにせよ,恒続林とはどのような森林なのでしょうか。
このような森林を創出する探求こそが,私の仕事です。
私は,このような森林は,従来の帰納法や演繹的な方法よりも,
アブダクションで探究する方法をとるべきだと感じています。
アブダクションとは
帰納法とも,演繹法とも異なる,第三の科学的類推法といわれ,結果から原因を推測する推論であり,観測事実に対する 説明を見つけるという推論方法なのです。
色々書きたくてうずうずしていますが,今大事な論文を読んでいるので,またしばらくしてからですね。
おやすみなさい。
今田敬一 少女 (北海道立近代美術館 HPより)



